佐藤慶子

佐藤慶子
(コンサートマスター〚在籍1982〜1998〛)

若くてキラキラして音色が良い!ひと言で表すとそんなオーケストラでした。数え切れない演奏会を重ねるうち、優秀な演奏家は優秀なブレーンにもなり、新星日響を育てていったのだと思います。
在籍中、リハーサル会場が水道橋の労音会館から荻窪の光明院、和光のサンアゼリア、池袋の芸劇へと変わって行きました。殆ど車で移動していましたが事故も遅刻もなかったと思います。ところが、忘れられない大失敗がひとつあります。
民音指揮者コンクールの会場が五反田のゆうぽうと(現アトラスタワー五反田)を神奈川県民ホールだと思い込み、
早めに到着しましたが、誰も来ないので手帳をめくって間違いに気付き、慌てて事務所に電話を入れて急いで駆けつけました。 結局私の為に1時間も開始を遅らせてしまったのです。外国からの審査員も含め指揮者先生方、受験者、団員の皆さんを待たせてしまった事は今思い出しても足が震えます。
新星時代の手帳を見ると本当に真っ黒です。
定期演奏会のリハーサルが4日間続き、翌日は別のオペラの本番という事も普通にこなしていました。一週間の間に、定期演奏会、音楽教室、バレーかオペラのリハに本番が休みなく入り、年末の第九の楽屋では年賀状書きが習慣になっていました。

文化庁主催の小編成のオペラ「ヘンゼルとグレーテル」では毎夏、何年か掛けて北海道から沖縄まで、全国津々浦々へ行く事ができました。
一管編成で弦楽器はヴァイオリンとコントラバス一本づつでしたので毎回二期会の歌手ともアンサンブルを楽しめました。 沢山の知らない所へ行けた事は今思うと財産になっています。

95年の5月6日 芸リハでOndrej Lenardさん指揮、マーラーの5番をリハーサル中、京都から父の死が知らされました。涙で楽譜が見えなくなりましたがLenardさんや団員、事務の方々が慰め、支えて下さり本番を迎える事ができました。 覚悟していた事ですからもう少し気丈に振る舞えなかったかと今は反省しています。
ヨーロッパ公演も含め新星日響の成長は凄まじく、紡ぎ出した音色(ねいろ)には心が込められ優しく、力強く、ツヤがあって人を感動させました。あの音を忘れる事はできません。

新星日響には感謝の気持ちでいっぱいです!