新設ホールとの提携

新設ホールとの提携
~和光市民文化センター「サンアゼリア」/ 文京シビックホール~

 都内に所在する自主オーケストラにとって、練習場の確保は大きな悩みの種であった。当初新星日響は、練習会場として荻久保の寺院・光明院の観音ホール(斎場)を主軸として、労音会館、高島平区民館、 場合によっては大泉の東映撮影所や日比谷高校敷地内の星陵会館等を転々とし使用していたが、これらの施設はオーケストラの練習場としての環境が必ずしも整っていた訳では無かった。単にスペースだけではなくオーケストラが響きを創るに十分な音響空間があること、 大小様々な楽器類の搬出入が容易であること、周囲に迷惑がかからない防音環境にあることなどの条件を満たす設備は、オーケストラが音を出すことを前提に作られた会場しかあり得ず、そのような施設は必要時に都合よく借りることが出来るはずが無い。 そういった状況下で、オーチャードホールや東京芸術劇場が開設されると、そこに付随するリハーサル室をも使用したりしていたが、1995年に東京都に隣接する埼玉県和光市に新しいホールが出来るという情報を得ると、 より良い条件でリハーサル会場を使えるようにアプローチをかけた末、提携を結ぶことに成功した。
 その後今度は文京区の公会堂を建て替えるという計画を入手すると、和光市とは良好な関係を保ちつつ新ホールの文京シビックホールとも提携する。

和光市へのアプローチそして提携

 1991年4月より東京芸術劇場で日曜日に「サンフォニック定期演奏会」を開始した新星日響は、定期使用団体と認められリハーサル室も優先的に予約できた。しかし、大編成のプログラムを練習するには、スペースや音響空間が十分ではなく、従来から使用していた光明院などを利用する必要があった。
 しかし、4年後の1995年に顧客開発に力をいれていた東武東上線沿線の和光市に大・小ホールを持つ会館が開設予定であることを聞くと、より良い環境をもつ練習会場の確保に向けてアプローチを開始した。交渉にあたった榑松三郎が当時の田中・和光市長を説得、「楽器を持った多くの楽団員が駅からホールに向かって行き来するのは他の市にはない魅力、素晴らしさではありませんか」と語りかけると直ぐに市長の目が輝くのが感じられ、当初から連携について好反応であった。
 和光市民文化センター「サンアゼリア」は1300席の大ホールと300席の可動椅子の小ホールを持ち、音響もこれまでの練習場に比較すると大変素晴らしいだけではなく空いている日程も多かったことから、頻繁に同文化センターを使用することになった。そして1995年(平成7年)に施設運営組織の和光市文化振興公社と新星日本交響楽団との相互協力による事業協定が結ばれた。

― みどり豊かな人間都市をめざす和光市にオーケストラのハーモニーを —

これは和光市が提案したスローガンである。この提携事業全てについて、冠タイトルとして使用された。
事業提携の初年度(1995.4~1996.3)の具体的な提携内容は以下の通りである。

①和光市文化振興公社が新星日響へ依頼する公演
◦懐かしの映画音楽の夕べ
◦新星日響ニューイヤーコンサート

②新星日響は市民に向けて無料公開リハーサルを実施
◦「第173回定期演奏会」のリハーサル
◦「羽田健太郎&新星ポップスのバレンタイン・コンチェルト」のリハーサル

③中学生の吹奏楽部員や市民オーケストラ団員を対象としたクリニック
◦年間3回~4回程度
 1996年度は上記内容に加え、これまでの東武グループによる支援で実施していた東武線沿線上の新星日響親子コンサートを大ホールで開催、それとともに和光市での新星日響ファンクラブ作りをはじめた。 祭日に開催した羽田健太郎&新星ポップス公演の公開リハーサルには約800名の参加者があり、このような企画に対して市民が強い関心を持つことが感じられるとともに、和光市の文化振興公社には市民へ文化を浸透させる大きな実績となり、 この事業協定は更に2000年度まで継続発展することになった。
 和光市文化振興公社にとっては、市民へのオリジナル音楽コンテンツの提供やプロ奏者による演奏指導など、音楽を介した街づくりの貢献へと、新星日響にとっては良い響きの中での練習が、更にオーケストラの上質な音創りになるだけではなく、 市民に寄り添う音楽活動がメディアへの露出にも繋がり楽団自体の周知へと結びついていく、まさに両者にとってメリットの大きな提携であった。

文京シビックホールとの提携

 和光市との提携が軌道にのってきた頃、都内の文京区で文京公会堂を建て替える計画が持ち上がり、新星日響のファンで文京区の支援者の方から新ホールとの提携をという話が来た。 当初は2000人規模の大ホール(実際は大ホール1802人、小ホール341人)が計画され、丸の内線、南北線、都営三田線・大江戸線、JR総武線が交差するまさに最高の立地であった。支援者の方と何度も打ち合わせを重ね、 議会と行政に働きかけて2000年に文京区とも提携が実現した。新星日響の理事長・黒柳徹子氏が新築なった文京シビックホールの名誉館長に就任するなど関係を深めていった。
 しかし和光と違いこちらのホールは稼働率も高くリハーサルで使用することは容易では無かった。当初年3回ホールの主催、1回を新星日響が主催し年間4回の定期シリーズが文京区に成立した。 当時新星日響はサントリーホールと東京芸術劇場で定期演奏会を行っていて、近場の三者が集客に影響し合う恐れもあったが、サントリーホールは意欲的なプログラミング、東京芸術劇場は日曜日の名曲マチネ「サンフォニック定期」、 文京シビックはサンフォニックをコンパクトにして手ごろなシリーズとなり3シリーズを維持成功させた。これは合併後の東京フィルにも引き継がれている。
 和光市や文京区の提携を実現できたのは、この種の自治体との提携話が来るのを受け身で待つのではなく、行政に積極的に提案していったからであった。特に文京区では議会にも働きかけたことも大きい。 こういう経験やノウハウがオーケストラ事務局に蓄積されたことも特筆すべきことだろう。オーケストラの支援者には、チケットを買ってくれる方、ボランティアで支えてくださる方、理事や評議員もボランティアの中に入るわけだが、 それに留まらずに地域、行政、議会に広がりを持っている方との出会がいかに大切だったかを事務局に教えてくれることになった。この新星日響ファンの方がいなければこの提携は実現していない。オーケストラの財産は人である。