音楽業界の発展を願って

楽団の存続をかけて

 戦後(1945年~)の日本社会の復興期は音楽業界においても復興のときであった。日本交響楽団(NHK交響楽団)や東京フィルハーモニー管弦楽団(東京フィル交響楽団)の活動再開や、東宝交響楽団(東京交響楽団)や関西交響楽団(大阪フィルハーモニー交響楽団)等新しい演奏団体が設立されるなど、まさにオーケストラの復興期でもあった。1950年代になると民間放送が開局され、その放送資本を基盤としたオーケストラ活動が活発になっていく。文化放送がスポンサーの日本フィルハーモニー交響楽団が設立されたのもこの時期である。復興期に設立された近衛管弦楽団もABC(朝日放送)の支援を受けABC交響楽団と開祖した。その後1950年代後半からの日本経済の高度成長期においては、放送・録音技術の革新が進み、放送業界の中での合理化が始まる。その余波を受け、放送資本の撤退の影響による東京交響楽団の解散や日本フィルの分裂などが起きた。一方で大資本をバックにした読売日本交響楽団の登場も経営基盤の脆弱な団体には影響を与えた。このような不安定な時期に誕生し活動した新星日響は、特定スポンサー頼りのオーケストラ活動の危うさを目の当たりにし、自主運営という形を選択したのもそれに拠るところが大きかった。
 1980年代には、東京都内に9つのオーケストラが存在していた。この過度の東京集中型は、地域社会と密接な欧米のオーケストラ事情とは異なり世界でも特殊な事例である。とは言うもののその状況が必然であるほど需要が大きいわけでも無く、経営の不安定なオーケストラ同士で共存の道を歩むのかあるいは出し抜きを図るのか、と方針が分かれるところだが、いよいよ1984年9月に新星日響を含む都内5楽団で「東京オーケストラ事業協同組合」を設立した。その後、同組合が各オーケストラを代弁し都や議会、他文化団体へ提言や陳情を繰り返し、業界全体の安定化を目指しその成果も徐々に表れるようになる。この5団体も含まれる「日本オーケストラ連盟」の発足にも尽力している。後に都の「財政健全化計画」の一環である「施設料値上げ」を阻止したのは、この「日本オーケストラ連盟」が主導となり実行委員会を立ち上げ断固として戦った結果であった。
 「東京オーケストラ事業協同組合」の設立や「施設料値上げ」反対運動には、新星日響の楽団長の榑松三郎が中心的役割を果たしている。特に後者については榑松が新聞のインタビューで「値上げ計画」を知ったことが発端だった。
 初代運営委員長の池田鐡の急逝によりすべての業務と責任を受け継がなければならなかった榑松は、楽団の存続のために必死で行動した。そして新星日響の発展につながると信じ、業界全体を俯瞰した取り組みも重要視したのである。

■東京オーケストラ事業協同組合の設立

■東京都施設料値上げ反対運動