チョン・ミョンフンとの出会い

マエストロ チョン・ミョンフンとの出会い
そして新星日本交響楽団創立30周年記念チャリティーガラコンサート!

新星日本交響楽団創立30周年記念特別企画
《アジアの子どもたちへ未来を!》

1999年5月22日18:00開演 東京国際フォーラム ホールA(5000席)

<出演>
チョン・ミョンフン(指揮) 中丸三千繪(ソプラノ) 五嶋龍(ヴァイオリン)
新星日本交響楽団(管弦楽) 新星日響合唱団/藤原歌劇団合唱部(合唱)
宮本亜門(司会)

<スペシャルトーク>
チョン・ミョンフン 中丸三千繪 宮本亜門「アジアの子どもたちの未来を!」

第1部
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲より1楽章
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲

第2部
ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
プッチーニ:歌劇「つばめ」より〝ドレッタのすばらしい夢〟
ヴェルディ:歌劇「椿姫」より〝さよなら過ぎ去った日々よ〟
ヴェルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」より〝ありがとう愛する友よ〟
ヴェルディ:歌劇「マクベス」より合唱〝虐げられた祖国〟
ヴェルディ:歌劇「アイーダ」より大行進曲

<特別企画>
青少年招待コンサート
1999年5月22日15:00 同会場

 上記プログラムは世界的な指揮者チョン・ミョンフンと企画した最初のコンサートのものである。新星日響はこれまで山田一雄やオンドレイ・レナルトとなどカリスマ性溢れる指揮者と出会いその絆を深めながらオーケストラの個性を発揮してきたが、 このチョン・ミョンフンとの邂逅もまた、その後の音楽に影響を与えるほど衝撃的だった。それから2年弱で東京フィルと合併したため新星日響としてのポジションにチョン・ミョンフンを迎え入れることは出来なかったが、 その間楽団は彼が主宰するアジア・フィルハーモニー管弦楽団の日本での展開に協力するなど交流を続けながら繋がりは強まっていき、その関係性は東京フィルへと受け継がれていった。 結果、チョン・ミョンフンは合併後のオーケストラのスペシャル・アーティスティック・アドバイザーに就任する。
 積極的なアプローチで実現したそのマエストロとの出会いを、当時楽団長であった榑松三郎が次のように回想した。

とどけ!チョン・ミョンフン&新星日響の熱いメッセージ
アジアの子どもたちへ未来を!

 私が初めてマエストロ チョン・ミョンフンを見たのは、1986年6月の事でした。普段、全く休みのない生活でしたが、その日曜日は在宅しており、 思い掛けずチョン・ミョンフン氏がロンドン響を指揮しているのをTVで見たのです。メインプログラムは「ブラームス交響曲第1番」、その演奏を聴いた瞬間「あっ、この人だ。これから新星日響の指揮者に迎える人は!」と思い、急遽長めの手紙を書きました。
 新星日響が創立20周年を迎えた楽団で、定期演奏会をはじめ数多くの主催公演・オペラ公演を行っていること、1989年より5年間にわたり「我が隣人たちの音楽」と題しアジア各国の伝統曲や現代曲を数多く演奏してきた実績を紹介し、是非ともマエストロに新星日響を指揮していただきたいとの強い願いを込め手紙を送りました。
 しばらくすると、11月初旬であれば東京で会うことは可能との返信があり、その年11月のパリ国立歌劇場の公演を終え、ソウルへ帰国途中のマエストロに、東京に立ち寄ってもらい、サントリーホールでのパスカル・ヴェロ指揮 新星日響公演を聴いて頂いたのでした。
 翌朝ホテルでのミーティングで彼は、新星日響の演奏について「考えていた以上に水準が高かったことと、同時に若干の課題」を語り、その後、「アジアについて新星日響のように考え公演する団体が日本にある」ことを、とても嬉しそうに話してくれました。ミーティングは2時間ほどで終了、再会を約束して別れました。
 翌朝のホテルでのミーティングで、彼は新星日響の演奏について「考えていた以上に水準が高かったことと、同時に若干の課題」について話し、その後、「日本にアジアについて新星日響のように考え公演する団体がある」ことを、とてもうれしそうに話をしてくれました。2時間ほどのミーティングの後、再会を約束して別れました。
 それからは、彼が海外オーケストラと来日する際には必ず聴きに行き、楽屋を訪ねました。N響定期を振ったときは黒柳徹子理事長と一緒に聴き、終演後の楽屋で「新星日響をぜひ指揮してください」と黒柳さんからもお願い差し上げています。
 その後マエストロと数度にわたるミーティングを重ねましたが、『いきなり「定期演奏会」を指揮するのではなく、まず「チャリティーコンサート」をやってみよう』という彼の提案を受け、当時、通貨危機により大変困難な状況に置かれていたカンボジアの子供たちを支援する「アジアの子どもたちへ未来を❕」を1999年5月22日に開催決定、いよいよ夢が実現することになったのです。

 5月20、21日、府中の森芸術劇場で行なわれたリハーサルでは指揮者紹介後、ヴェルディ歌劇「運命の力」序曲から始めましたが、冒頭の金管セクションの音の輝き、次いで木管のソロ、そして音楽全体が絢爛としたものでいまでもはっきりと思い出せる凄い音楽でした。やはりマエストロの力は凄い。そして新星日響もそれに十分に応える演奏でした。

 アジア諸国へ、形ばかりでなく実質的に少しでも多くの支援額になるようコンサートのチケット料金をSS席¥10.000 S席¥8.000 A席¥6.000 B席¥4.000 C席¥2.000と若干高めに設定しましたが、 マエストロの「21世紀を担う青少年たちに、人類の歴史とともに発展してきた素晴らしいクラシック音楽を是非とも聴いて欲しい」という強い願いのもと、6歳から18歳の児童、青少年、盲学校、養護学校の青少年を対象に招待した「青少年招待コンサート」がオーケストラや出演者の協力により、当日午後3時同会場で実現する運びとなりました。この企画では同伴の保護者に入場料として1000円を募り、収入の全額をユニセフに寄付することにしました。

 チョン・ミョンフンが初めて新星日本交響楽団を指揮したこの楽団にとっての歴史的なコンサートは、その大変高い水準の演奏にで、多くの聴衆が感動する素晴らしい公演となりました。因みに午後6:00からの一般公演は10.000円のSS席は完売となり全体でも5.000席の90%を売ることができました。

 また、事前マスコミにも取り上げられたこともあり、午後3:00からの青少年招待コンサートの入場者4.000人とあわせて、2回の公演で9.000人の方々に入場いただきましたが、多くの集客とともに様々な方面から大変に高い評価を受けました。チャリティ公演による寄付金は500万円達し、ユニセフのカンボジアの基礎教育普及事業に300万円、日本国際ボランティアセンターを通じベトナムの「子供の家」支援に200万円の目録が当日ステージ上で当時専務理事である私より各団体に手渡されています。
 この公演の大成功により新星日響とチョンマエストロは次のステージに進むことになりました。 <榑松 三郎>
撮影=米倉浩喜(トロンボーン)

<マエストロ チョン・ミョンフン氏との出会い>

 新星日響とマエストロ・チョン・ミョンフンの出会いは1999年5月常設の練習場を持たない新星が府中市民会館ホールのステージのリハーサルでマエストロをお迎えした時のことでした。
 名高いマエストロとの出会いを前に、楽員のウオーミングアップにも緊張感が高まっていきました。マエストロが姿を現すと楽員の緊張はピークに達していましたが、にこやかな表情のマエストロは多くを語ることなく楽員を見渡し、そしてタクトを振りおろしました。途端マエストロの表情は厳しいものとなり、楽員の奏でる一人ひとりの音が見事にタクトに集約され、これまで経験したことのない圧倒的な表現力と響きに包まれました。馴染みの深い曲でしたが、楽員に衝撃が走ったことを今でもよく覚えています。この時から私たちはマエストロとの演奏が楽しみとなりました。そして私たちはマエストロに要求されることの奥深さに気付かされ、音楽家として自分がどうあるべきか、またオーケストラが何を追求していくべきかを深く考えるようになりました。

オーボエ
小川綾子