ハートフルコンサートを開始

ハートフルコンサートを開始

 それは1989年8月15日の「終戦記念日」のことだった。年間の公演数が200公演を超えるほど過密スケジュールの新星日響だったが、丁度前々日の富山でのコンサートを終え、 翌々日の光明院での練習が始まるまで久しぶりに3日間の休みだった。渉外業務でも多忙を極める楽団長の榑松三郎も、この日ばかりは自宅でのんびりとくつろいでいた。 榑松は、ぼんやりとテレビを眺めていたのだが、NHKの番組で街録の模様が流れその内容に愕然としてしまった。 それはアナウンサーが街中で何人かの女子高校生に「今日は何の日ですか?」と尋ねるものだったのだが、誰一人正解を答えられず、「アメリカとの戦争が終わった日ですよ」と教えると、 「ウッソー」などいう若者独自の反応が返ってくる様子だった。榑松は言葉を失うとともに、戦争の歴史について次世代へ正しく伝えていない大人たちの責任を強く感じ危機を覚えたのである。 そこで新星日響がやらなければならないこととして、毎年8月15日にコンサートを開催し「戦争の悲惨さや2度と繰り返してはいけないこと」、 そして「平和への願い」など音楽を通して伝えていくことを決意する。早速理事長の飯沢匡氏に相談すると理事長も同じ思いであった。 新星日響と親密であり幅広く社会貢献活動に尽力する黒柳徹子氏の共感を得、いよいよ翌年の8月15日から、 氏のお話を交え音楽で「命の尊さ」を訴える「ハートフルコンサート」を開始することになった。

 第1回の「ハートフルコンサート」は、世界各国の音楽を集め大町陽一郎の指揮と新星日響合唱団の共演、サントリーホールで開催された。

新星日本交響楽団 特別演奏会
《ハートフルコンサート》

1990年8月15日 18:30開演 サントリーホール

<出演>
大町陽一郎(指揮)黒柳徹子(お話)
新星日本交響楽団(管弦楽) 新星日響合唱団(合唱) 郡司博(合唱指揮)

<プログラム>
チェコスロバキア●スメタナ:交響詩「モルダウ」
スペイン●カタロニア地方の民謡:鳥の歌(赤堀文雄編曲)
フランス●フランス国歌:ラ・マルセイエーズ
ソヴィエト●ハチャトリアン:バレエ組曲「ガイーヌ」より剣の舞
フィンランド●シベリウス:交響詩「フィンランディア」(堀内敬三訳詩)

— 休 憩 ―

中国●現代中国のオペラ:バレエ「白毛女」より北風吹(楽譜提供:松山バレエ団)
日本●外山雄三:管弦楽のためのラプソディー
アメリカ●讃美歌:リパブリック讃歌(藤原豊編曲)
アルゼンチン●タンゴ:「ラ・クンパルシータ」(赤堀文雄編曲)
アフリカ●アフリカ統一の歌:「コシ・シケレリ・アフリカ」(外山雄三編曲)
全世界へ●M.ジャクソン&L.リッチー:「ウィ・アー・ザ・ワールド」(赤堀文雄編曲)
全世界へ●ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」よりフィナーレ(歌詞:日本初演)
自身も戦争で疎開した経験を持つ女優の黒柳氏は、プライベートは途上国を訪問しながら現状を目の当たりにし様々な支援活動に取組んでおり、「命の尊さ」には非常に高い意識を持っていた。 もともと女優としての発信力は群を抜いていたが、特にこの日のコンサートでは自らの支援活動からの溢れんばかりの感情がトークに込められ、サントリーホールを訪れた沢山の聴衆に、 感動と共感を与えた。当日配布したプログラムには黒柳徹子氏からの挨拶文が掲載された。
 昭和20年8月15日、終戦の日、私は疎開先の青森県三戸郡というところでむかえました。
 この年の4月15日、私の通っていた小学校「トモエ学園」はB29の落とした焼夷弾で炎に包まれ、なくなってしまいました。
 この戦争で世界中で4900万人もの尊い命が失われ、たくさんの子供たちも犠牲になりました。
 第一次世界大戦のとき、死んだ民間人は全体の10%でした。第二次世界大戦のときは、これが50%になりました。この中に沢山の子供たちがいました。そして、いま、内戦などのある国では死ぬ人の80%が民間人なのです。
 戦後45年たった今日、私たちの暮らす日本では物が満ち溢れています。でも、私がユニセフ親善大使として訪問したアジア・アフリカの国々では、今この瞬間にも、干ばつや貧困のために、飢えに苦しみ、病気になっても治療も受けられない子供がいます。1年で1400万人もの幼い命がそのために奪われています。そして、いまだにこの地球から戦争がなくならず、多くの人々が傷つき、痛ましい犠牲となっています。ユニセフでは、いま1年間に1400万人も死んでる子供を今世紀のあいだに半分にしようとしています。
 また、世界中で環境汚染による自然破壊が、大きな問題となっています。私は、世界自然保護基金の理事もしています。絶滅に瀕しているパンダやゴリラ、といった有名な動物たちを保護するだけでなく、本当に助けを必要としている沢山の動物や植物を、なんとか、生かしたいと働いてもいるのです。
 結局、人間たちが、動物や植物を住みにくくしたのですし、こういう動物や植物が生きていけないということは、人間も生きていけないことなのですから。
 戦争が終わった時、私たち日本の子供は、いまの飢えたアフリカの子供たちと同じように、やせて、はだしで、不安な日を送っていました。心も飢えていました。
 いま、私たちにできることは、一人でも多くの子供が幸福に生きていけるように、力をかすことだと私は思っています。そして、8月15日を知っている人は、そのことを忘れないで伝えていくこと、それも責任だと思っています。本当に「平和」の有難さを体験したからです。

黒柳徹子(女優・ユニセフ親善大使)
「ハートフルコンサート」を開始した1990年は新星日響初のヨーロッパ公演の年である。初めての海外公演ということで様々な準備や相当の負担ある時期にも関わらず、 それを顧みずに新しい事業を開催した榑松の決断は、まさに彼らしく、そして自主運営が柱のオーケストラだったからこそ出来たのであろう。 経営面では賛否分かれるところだが、少なくとも音楽の力を最大限に活かし社会への寄与を大切にしたことは重要で、実に様々な人たちから評価された。 この多くの人たちに平和を訴え感動を与えた「ハートフルコンサート」は、毎年8月15日に開催され合併後の東京フィルへと受け継がれる。
No. 開催日・会場 公演名 主な出演者
1 1990年8月15日
サントリーホール
ハートフルコンサート 大町陽一郎(指揮) 黒柳徹子 新星日本交響楽団
新星日響合唱団(合唱)
2 1991年8月15日
サントリーホール
ハートフルコンサート 武藤英明(指揮) 黒柳徹子 新星日本交響楽団
 
3 1992年8月15日
サントリーホール
ハートフルコンサート 武藤英明(指揮) 黒柳徹子 新星日本交響楽団
ジェリー・ホリンズ(ゴスペルシンガー)
4 1993年8月15日
サントリーホール
ハートフルコンサート 湯浅卓雄(指揮) 黒柳徹子 新星日本交響楽団
 
5 1994年8月15日
サントリーホール
ハートフルコンサート94 沼尻竜典(指揮) 黒柳徹子 新星日本交響楽団
和谷泰扶(ハーモニカ)オスマン・サンコン(特別出演)
6 1995年8月15日
サントリーホール
ハートフルコンサート95 沼尻竜典(指揮) 黒柳徹子 新星日本交響楽団
天満敦子(Vln) 池田京子(Sop) 北村哲朗(Bas) 新星日響合唱団(合唱)
7 1996年8月15日
サントリーホール
ハートフルコンサート96 井上道義(指揮) 黒柳徹子 新星日本交響楽団
和波孝(Vln)
8 1997年8月15日
サントリーホール
ハートフルコンサート97 沼尻竜典(指揮) 黒柳徹子 新星日本交響楽団
梯剛之(Pf)
9 1998年8月15日
サントリーホール
ハートフルコンサート98 尾高忠明(指揮) 黒柳徹子 新星日本交響楽団
 
10 1999年8月15日
サントリーホール
ハートフルコンサート99 十束尚宏(指揮) 黒柳徹子 新星日本交響楽団
二村英二(Vln) 寺谷千枝子(M.Sop)
11 2000年8月15日
サントリーホール
ハートフルコンサート 尾高忠明(指揮) 黒柳徹子 新星日本交響楽団
川畠成道(Vln)