「新星と私」
私が新星日本交響楽団に入団したのは1982年、音大を卒業して間もなくの頃でした。このオーケストラは創立からすでに13年が経過していました。楽団員が自主運営する日本初のオーケストラであるということは聞いていましたが、それが実際にはどれほどの苦労に繋がるのか、当初は何も分かっていませんでした。また、私の入団前にこのオケは、前・団長を不慮の事故で失うという不幸に見舞われていたことも後で知りました。
オケで演奏する術など何も持たないまま、オケ中心の日常が始まってしまいましたが、様々な内容、曲目のコンサート、ユニークな企画、音楽教育活動等、老舗のオケに負けず劣らずの業績を上げてきた新星日響とともに、私自身も無我夢中で人生を歩んできたように思います。もちろん膨大なレパートリーの大半を私はここで学びました。さらに黒柳徹子さんの名作「窓ぎわのトットちゃん」の音楽物語化はじめ、池辺晋一郎氏や一柳とし氏による創立記念委嘱作品など、新星日響が誕生させたオリジナル作品にも数多くふれることができました。企画、活動についても内容があまりにも膨大で多岐にわたっているのでそのすべてを語ることは困難ですが、自分に関しては、楽団員にもソロの機会を実現させてくれる企画で、2曲のホルン協奏曲を日本初演させていただけたのは大きな喜びでした。
新星日響は「聴衆とともに歩むオーケストラ」であることを大切にしてきたと思っています。バブル崩壊後の世情により運営が頭打ちとなり、苦渋の決断で東フィルとの合併、その後の消滅となってしまいましたが、その多くの業績、演奏への思いは、これまで熱く応援してくださった聴衆の皆さんのお気持ちとともに語り継がれていくものと信じています。
「星」をその名前に頂いたオーケストラは、今まさに大空の「星」になったかのよう…
元・新星日本交響楽団
ホルン奏者 古野淳