新星日響親子コンサートの歴史

新星日響親子コンサートの歴史

「セロ弾きのゴーシュ」誕生から
「窓際のトットちゃん」の成功へ

 新星日響の取組みの特徴的な事業の一つとして、1981年に始まりシリーズ化した親子コンサートが挙げられる。子どもから大人まで家族で楽しめるこのコンサートシリーズは、まさに新星日響の運営方針「聴衆とともに・・・」を地で行く試みであった。
 その原点は、1973年6月14日に新星日響の演奏で開催された「足立区小学校音楽教室」まで遡る。当時運営委員長の池田鐵一家は、足立区に居を構えており地域の人たちと交流する中にも音楽の喜びを伝えていきたいという思いを強い思いを持っていた。そして足立区の先生方による組織足立区音楽研究部の「子ども達に良い音楽を聴かせてやりたい」という強い願いを汲みお互いが協力し合いながら実現した同音楽鑑賞教室がその後毎年継続されることになる。そして更に幅広く呼びかけ区民にとって音楽を身近なものに、と生まれたのが1977年の足立区民コンサートである。コンサートでは単に子ども向けの演出を施すのではなく、音楽を幅広い年齢層が楽しめるように様々なプログラムの工夫がされた。そうした中生まれたのが1980年9月23日の第4回足立区民コンサートで初演された林光作曲による宮沢賢治の童話セロ弾きのゴーシュをモチーフとした「野ねずみの母子」だった。
 この「野ねずみの母子」をその一部とし、林光の手により完成されたオーケストラのための童話「セロ弾きのゴーシュ」が、1981年5月に新星日響の自主制作レコードとして発売される。そして同年の夏休み、この作品をメインプログラムとして首都圏7会場で「夏休み親子コンサート」を展開し各地で大成功を収めた。
 「セロ弾きのゴーシュ」で観客の反応に手応え得た新星日響は、毎年このような新作を生み出すことでシリーズ化し、更なる聴衆拡大を目指す。そして次に生まれたのが音楽物語「窓際のトットちゃん」であった。黒柳徹子の著作である原作は、すでに当時470万部という大ベストセラーだったが、これを音楽物語にするよう薦めたのが理事長に就任した飯沢匡である。一方で作品の映画化や劇化などこれまで様々なオファーを断ってきた黒柳も、信頼を寄せる劇作家である飯沢匡の発案であり、音楽でならイメージを膨らませることが出来るという理由で音楽物語化の許諾だけではなく自らが語りとして出演をすることとなった。そしてこの重要な音楽を担当とすることになったのが、飯沢や黒柳と一緒にNHKの子ども番組「ブーフーウー」で共にした作曲家の小森昭宏である。そうして出来上がった音楽物語「窓際のトットちゃん」は、1982年4月3日、五反田簡易保険ホールに於いて、語り:黒柳徹子、小林研一郎指揮新星日本交響楽団の演奏で初演される。
 笑いあり、涙あり、音楽の美しさ楽しさ、様々な要素が組み込まれたこの作品の反響は凄まじかった。各地から公演依頼が殺到、中には黒柳徹子本人のスケジュールが取れないようなら録音テープでの語りでも良いから開催して欲しい、という要望もあった。各地から公演の依頼が殺到し、黒柳さんのスケジュールの都合上無理であれば、本人の代わりに録音テープでもよいからという要望もあったという。公演会場の物品販売では、同作品の音楽テープが一度に200本売れたほか、初演と同時に2社からライブ盤とスタジオ収録盤の2種のレコードが発売され、この種のジャンルとしては前代未聞のことだった。
 その後も継続的に全国各地のファミリー向けコンサート等で再演され、新星日響の名前を全国区へ押し上げただけではなく、財政面でも楽団の台所を大いに助けることになる。
 「窓ぎわのトットちゃん」の大きな成功を受けて、この語りとオーケストラという上演スタイルの新作プロジェクトが動きだす。春休みに初演して周知に努め、夏休みに近隣ホールで多数回公演を開催していくパターンを考えて行った。経費面から見ると春休みに投資、夏休みに回収といった計画である。翌1983年に黒柳徹子作の絵本「木にとまりたかった木の話」を、音楽物語「窓ぎわのトットちゃん」と同じ顔合わせとなる黒柳徹子の語り、小森昭宏の作曲で送りだした。1984年には、新作にふさわしい童話や物語を新星日響ファンクラブも巻き込み検討した結果、斉藤隆介作・青島広志作曲で音楽物語「モチモチの木」を完成させた。1985年はグリム童話の「眠り姫」を原作に飯沢匡の脚本、青島広志の作曲によって音楽物語「いばらの城のおひめさま」を、1986年には松谷みよ子作・松井和彦作曲の音楽物語「赤神と黒神」を次々に作品化した。「赤神と黒神」にはデビュー間もない佐藤しのぶが出演している。
 しかし音楽物語「窓ぎわのトットちゃん」成功以来、残念ながら音楽物語シリーズはヒットせず、春休みに初演した作品を多数会場で展開する夏休み親子コンサートが不振であったことに加え、物品販売の収益と公演周知を兼ねた収録とレコード、カセット製作の経費が膨らみ、財団財政が逼迫するようになる。
 この音楽物語による親子コンサートをこのまま続けるのかどうか事務局内で喧々諤々と激しく議論をし、もう一度音楽の原点に帰ろうという結論に至る。音楽の世界に関する逸話や、そして何より音楽そのものを聴いてもらおうという方針が定められ、ベートーヴェンの人生と楽曲を組み合わせた“音楽芝居”を企画することになった。脚本を西田豊子、曲のアレンジや構成を新日響の創立メンバーでヴィオラ首席奏者・作曲家の赤堀文雄が担当し、芝居はベートヴェン役に熊倉一雄、主人公の女の子役には間下このみを抜擢した。制作経費の低減も含め事務局員の知恵を結集させ生み出されたこの作品は、再び公演の依頼がされるようになり、新星日響の親子コンサートシリーズに光が再び差し始めるきっかけとなる。
 こうした「自らの力でヒット作を作り出そう」という楽団内の機運のもと、1988年には「スノーマン」の映像とオーケストラ曲による親子コンサートを制作、これも事務局員たちが、様々なハードルを乗り越えてコンサート化に成功したものだ。反響は大きくすぐに20数回の公演依頼が舞い込むほどの人気公演となった。そして1989年のシリーズ第9作目はドイツの作家ミヒャエル・エンデの世界的に有名な児童文学「モモ」を取り上げ、岸田今日子の語りと山本純ノ介の作曲で音楽物語として世に送り出す。楽曲の完成度が高く期待は大きかったが、見込み通りの反響を得ることが出来なかった。原作は現代社会に則したテーマではあったものの、風刺性の強く「親子コンサート」に期待するファミリー層にはあまり適合しなかったように思われる。
 その後「親子コンサート」は、1990年の音楽物語「大砲の中のアヒル」(原作:ジョイ・コウレイ/作曲:小森昭宏)をオリジナル作品の最後として、演出と既存の楽曲で構成したものに変わっていく。全てが「窓際のトットちゃん」や「トモコの不思議なベートーヴェン」、「スノーマン」のように成功するわけではなく、聴衆の指向性の変化や費用対効果の面を鑑みて方針を変更していく必要があった。
 1981年から1990年の10年間に、毎年オリジナル作品を生み出して来た新星日響の実績は、楽団創立時から聴衆に寄り添うことを基本姿勢としてきただけではなく、日頃から日本人作品の演奏に積極的であるなど日本文化の創造について重要視してきたからに他ならない。そして試行錯誤しながらも、「既存の音楽界に組み込まれることなく自ら納得のいく演奏活動を行う」という自主運営の理念が基本にあるからこそ成し遂げられた結果でもあろう。
No. タイトル 原作 作曲 初演
1 「セロ弾きのゴーシュ」
オーケストラのための童話
宮沢賢治 林光 1981.5.9
独唱:佐山真知子 指揮:佐藤功太郎
2 音楽物語
「窓ぎわのトットちゃん」
黒柳徹子 小森昭宏 1982.4.3
朗読と歌:黒柳徹子 指揮:小林研一郎
3 音楽物語
「木にとまりたかった木の話」
黒柳徹子 小森昭宏 1983.4.10
歌と語り:黒柳徹子 指揮:佐藤功太郎
4 オーケストラ絵本
「モチモチの木」
斉藤隆介 青島広志 1984.4.7
語り:阿部六郎 指揮:佐藤功太郎
5 オーケストラのためのファンタジー
「いばらの城のおひめさま」
グリム童話 青島広志 1985.3.24
歌と語り:黒柳徹子 指揮:佐藤功太郎 妻島純子(A) 鹿野章人(T)
6 音楽物語
「赤神と黒神」
松谷みよ子 松井和彦 1986.3.29
語り:八木光生 指揮:佐藤功太郎 女神:佐藤しのぶ(S)
7 オーケストラ・ファンタジー
「トモコのふしぎなベートーヴェン」
脚本:西田豊子 編曲/構成:赤堀文雄 L.w.ベートーヴェン 1987.3.29
ベートーヴェン:熊倉一雄 トモコ:間下このみ 指揮:田中良和
8 映像と生演奏による
「スノーマン」
R.ブリックズ H.ブレイク 1988.3.27
語り:佐藤文行 歌:神谷満実子 指揮:現田茂夫
9 夢の音楽物語
「モモ」
M.エンデ 山本純ノ介 1989.4.2
語り:岸田今日子 指揮:佐藤功太郎
10 音楽物語
「大砲の中のアヒル」
J.コウレイ 小森昭宏 1990.7.24
語り:橋爪功 指揮:現田茂夫