山田一雄 (指揮者)
言わずと知れた音楽界の重鎮である。新星日響の定期演奏会には、楽団創立3年目の1972年3月、文京公会堂で開催された第7回に早々と登場する。当時既に日本を代表する指揮者であった山田一雄氏のもとに、楽団が飛躍するためと意を決した楽員たちがお願いにいったところ若者の熱意にほだされ快諾、その後20年の間定期のみならず地方の音楽教室にまで指揮者として同行するなど新星日響と深い関りを持つ。この出来立てのオーケストラにとって山田氏の存在は重要な役割を果たす。氏との最初の定期演奏会のメインプログラムであったチャイコフスキー:交響曲第4番の終楽章では、全身をフルに使った音楽の真骨頂を楽団員に伝えた。当時平均年齢25歳程の経験不足のオーケストラに対し丁寧な指導を施したが、「第九」等演奏経験の多い曲目で楽団員が思わず集中力を欠くと本気で怒った。山田氏のエネルギッシュな指揮と新星日響の演奏は数々のドラマを生み出し、1990年の新星日響第1次ヨーロッパ・ツアーにも同行、現地の聴衆から熱狂的に迎えられた。1991年に逝去、その1年後の8月16日に新星日響は「山田一雄 炎の航跡 メモリアルコンサート」を開催しその功績を称える。新星日本交響楽団 永久名誉指揮者。