ラインハルト・ペータース(指揮者)

ラインハルト・ペータース (指揮者)

テレマンの出生地で知られるドイツ・マクデベルク出身のペータース氏は、ベルリン国立歌劇場でコレペティトゥーアを務めていたが、1951年から開催されたブザンソンの指揮者コンクールの最初の覇者となった(沼尻氏の優勝した丁度40年前)。新星日響の指揮者はみんなオペラへの関りが深いようである。ラインハルト・ペータース氏も同様、ミュンスター市立歌劇場の音楽監督やベルリン・ドイツ・オペラの首席指揮者を歴任、かの有名なグラインドボーン音楽祭では、1969年と1970年の2度にわたり、ロンドン・フィルの演奏でのモーツァルトのオペラを指揮している。日本では1960年代に東京交響楽団、NHK交響楽団で指揮、新星日響では1987年以来定期的に公演を重ね、1992年から客演常任指揮者に就任。
正当派ドイツ音楽でありながら軽やかさのある音楽づくりに定評がり、CD化もされた新星日響の定期演奏会(1991年第133回)でのベートーヴェンの交響曲第7番は圧巻であった。洒脱でユーモアを欠かさないその人柄は楽員からも多くのファンからも親しまれた。ピアノとヴァイオリンの神童と言われた腕を披露してもらうべく1994年に東京芸術劇場でモーツアトのヴァイオリン協奏曲4番、ピアノ協奏曲21番、とそれぞれを「弾きぶり」するという驚異的なコンサートを予定したが、その来日中に自転車に追突され重傷を負い脳挫傷で入院。公演はキャンセル、直後の二期会のドン・ジョバンニも予定されていただけに日本でのオペラデビューがかなわず残念であった。「弁済能力はないだろから」とアルバイトに急ぎ追突してしまった自転車の韓国人留学生に対しては事故扱いにはせずに何の不服も申し立てもしなかった。音楽する喜びに生き恬淡無欲の生きざまを示してくれた指揮者だった。
彼の数あるジョークから一つ。“When I was young, I had youth and beauty. Now only beauty” (若い頃は若さと美貌を兼ね備えていたんだけど、今は美貌だけなんだ)。