村松泰 (楽団医)
国内のオーケストラには珍しい、楽団医というポジションで新星日響を支えてきた医師。自ら名古屋市立大学医学部音楽学科卒というほどの音楽好きが高じ、山田一雄氏の口添えでとうとう1985年にプロ・オーケストラの指揮をするという長年の夢を叶える(新星日本交響楽団 蒲郡特別演奏会)。以下は、山田氏の当演奏会に寄せたメッセージである。『今宵登場の村松泰氏のミュージカル・ヒストリーに目を通すと、誰もがハテナと考え直すことだろう。「音楽」とは天から与えられた誰もがやっていい筈のものだったのだ……と。職業音楽家だけの独占物が「音楽」なんて途方もないこと。人間の呼吸はもともと縦横に自由なのだから……と。ルネッサンス時代を考えてみようか。ダビンチは絵画、彫刻、医学、天文おまけに音楽も、ミケランジェロだって詩歌、医学etc、ルソーだって大思想家のくせしてオペラを何曲も残しているというフィーバーぶり、村松センセイは病院でオペラチオーン(手術)への名技を施しながらの『指揮ルネッサンス』へのまぶしいほどの気概……。さてその村松センセイ。その容貌は美しくソフトで貴公子然として居ながら、その深い眼の光には行動への確信がひたひたと隠されていて、しかも落付きがある。そんな点では光源氏の君と同じだ。ルネッサンス時代のトータル人間としての魅力!』
そのコンサート以来、村松氏は愛知県在住ながら、新星日響の一員として楽団のサポートに尽力した。1995年の新星日響第2次ヨーロッパ公演には、薬など医療品すべてを持参して同行して、「プラハの春音楽祭」2公演、ブライトン国際音楽祭、ブラチスラバ、ライプツィヒ、バルセロナ、ベルリン等世界の檜舞台に立つ楽員たちの健康面、」精神面を楽団医として温かく見守り、公演を大成功に導く。