小松長生 (指揮者)
アメリカを拠点にする当時若手指揮者の小松長生氏は、東大出の指揮者として世間の注目を浴びた。1980年代に単身渡米しイーストマン音楽院大学指揮科を卒業、日本の音楽大学のコネやネットワークも無く、独力でアメリカの指揮界に地歩を固めいった行動力は、当今すべてお膳立てされた中で留学する若者からは想像もできないところだろう。
バッファロー管エクソン派遣指揮者、ボルティモア響アソシエートとしてデビッド・ジンマンのもとでアメリカの指揮者の音楽づくりを身につけた後、カナダ・トロント近郊のキッチナー・ウォータルー交響楽団及びカナダ室内アンサンブル音楽監督として北米で「チョーセイ」の名前を確立する。1994年に新星日響の事務局次長の家安勝利が、文化庁の在外派遣研修でキッチナー・ウォータルー交響楽団を訪問、日本では考えられない小松氏の音楽監督としての役割を目の当たりにする。新星日響では1983年以来度々氏を招聘、2000年には正指揮者に就任した。
生来の性格でもありアメリカ仕込みの積極的な姿勢が日本のオーケストラに新たな活力を吹き込んだ。明晰な知性と活力ある曲づくり、「だらだらしない」テンポの良いリハーサルが楽員に刺激を与えた。アメリカの指揮者はオーケストラの音楽的責任だけにとどまらず財政的責任も併せもつ。これが日本のオーケストラとの大きな違いだ。楽団の先頭に立って積極的に個人、企業へ寄付を働きかけるのももう一つの仕事だ。ここでも「チョーセイ」は社交的な顔で支援者を集め新星日響のファンドレージング活動に貢献した。常に先駆的な指揮者として国内外のオーケストラ界を刺激し続けている。