黒柳徹子さん理事長就任

黒柳徹子さん理事長就任

黒柳徹子さん理事長就任

 TV司会者、俳優としても著名な黒柳徹子氏が、1997年7月に財団法人 新星日本交響楽団の理事に就任した。
 俳優業の傍ら、福祉や文化活動への積極的な携わりが世の人々に認められていた黒柳氏は、新星日本交響楽団の活動に共感を持ち理事職を務めていたが、演奏会での共演機会が増える度に楽団員との信頼関係が深まり、八代栄藏氏の後を受け、 第三代理事長として新星日本交響楽団の顔となるのは必然の事であった。新星日響と黒柳氏の関わりは、1977年に氏が芥川也寸志氏とともに司会をしていたNHKの音楽TV番組「音楽の広場」に新星日響が初出演してから続く。
 以後、理事就任後の1982年に黒柳氏のベストセラー「窓ぎわのトットちゃん」を原作に創作した音楽物語「窓ぎわのトットちゃん」が大ヒットしロングセラーとなるほか、1998年のハートフルコンサートへの出演や初代理事長 伊沢匡氏と1990年の第一次ヨーロッパ公演に同行するなど、ますます新星日響との絆を深めていった。

就任のごあいさつ

受賞のことば
 新星日本交響楽団に対しての、みなさまの御支援、御親切、心から感謝しております。
さて、この賞の、わたる、財団法人新星日本交響楽団理事会におきまして、理事長に任命されました。長いこと理事はさせていただきましたが、理事長は、私に大役すぎると、と思いました。
 一度はお断りしましたが、新星日本交響楽団のめざす「音楽によって心豊かな社会づくりに貢献する」というテーマは、二十一世紀を目前にした今日、私にも、とても大切なことでございます。
いろいろ考えたうえ、未来に希望が持てるような音楽、人びとの心を豊かにするこの素晴らしい文化を、新星日響のみなさんと一緒にもっと広げてゆくために、「お役に立てるなら」と、決心いたしました。
 私の父はヴァイオリンニストでしたが、何よりもオーケストラが好きでした。私も母のお腹にいた時からオーケストラを聞いていました。そして、私もオーケストラが大好きです。 それにしましても、オーケストラの理事長というのは初めてでございますので、いたらないことも多いと存じます。
みなさまのご意見を伺いつつできる限りのことを、やらせていただこうと思っております。どうぞ、よろしくお願いいたします。

一九九七年七月吉日
財団法人 新星日本交響楽団
理事長 黒柳徹子

―黒柳徹子氏と新星日本交響楽団―

[音楽の広場]への出演

 新星日本交響楽団はNHKテレビで放送されていた、芥川也寸志氏指揮と黒柳徹子氏との軽妙なおしゃべりによる音楽番組「音楽の広場」に、 1977年初出演以来数多く出演してきた。

[音楽物語『窓ぎわのトットちゃん』]
の誕生

 黒柳徹子氏は1981年財団法人認可後、初代理事長 飯沢匡氏とともに理事に就任。翌年‘82年に自身の著書で大ベストセラーとなった 「窓ぎわのトットちゃん」を小森昭宏氏の作曲により音楽物語「窓ぎわのトットちゃん」の「語り」を自らつとめ、レコード、テープとして発売、 クラシック部門としては爆発的に売れ、その印税収入は4000万円を超えるほどだった。また、全国各地から公演依頼が殺到、 新星日本交響楽団にとって10年で100回を超える人気公演となり、その収入も大きなものだった。

[ハートフルコンサート]を開催

 1989年より毎年8月15日に開催する「ハートフルコンサート」をスタートする。
8月15日の終戦記念日は、年月を重ねるごとに「その日」を意識するのが薄れていくこと(特に若い人の中で)を感じ、オーケストラとしてもこの状況を傍観するのではなく、 戦争による悲惨な過去を思い起こし、平和の大切さを伝えるために、この日に「ハートフルコンサート」を開始した。 ユニセフ親善大使として毎年訪問している紛争地域の難民キャンプの状況を黒柳徹子氏に伝えていただきながら、オーケストラの演奏を行うこのコンサートは、毎年多くの聴衆を迎え、2019年に30回に達している。

[第一次ヨーロッパ公演]に同行

 1990年5月~6月に新星日本交響楽団創立20周年事業として行われた初のヨーロッパ公演には、 飯沢匡理事長とともに2日にわたるドレスデン公演に同行、楽員にも大きな励みと喜びとなった。
1997年7月、財団法人新星日本交響楽団 理事長に就任。