「いつまでも決断しないで、1週間も2週間も放置しない」「報告と検討事項を分ける」という初歩的なことから、マーケティングなどビジネス界の常識を学ぶことになった。
裏付けがない目標を立て、「頑張ります」で済ますことでは決して実現せず、そのためのスキームの作り方とプロセスの検証こそが仕事だということなど実に多くのことを実践的に学んだ。
新星日響のような自主運営の芸術団体でよく聞かれるのは敏腕経営者待望論だ。誰かそういう人に運営を託せれば改善されるだろうと。しかし経営運営委員が勧めたのはそういう人材をリクルートするのではなく、
「100点を取るリーダーを探すよりも今いる事務局員の能力を上げて平均して60点が取れるようにする」ことだった。長い目でみればこの方が自主運営団体にば向いていた。
実際に楽員、事務局の委員の中にどこまで経営的マインドが浸透したかその実績は証明しようがないが、少なくてもファンドレージングプロジェクトでは、
経営者役員達の広い付き合いから寄付の可能性のある方をリストアップして個々にどのようなアプローチが有効か検討してトライ、フォローをすることで着実に成果を上げてきた。これは家安がシカゴ交響楽団事務局でつぶさに見てきたことと同じであった。
進行状況を報告しフィードバックを受けてまた動く、経営運営委員自身も寄付の可能性のある人をコンサートに誘って終演後寄付のアプローチをした。それまでは少額の善意の寄付を広く集めることで良しとしていたが、寄付額にも差をつけて先ずは10万円、
続いて30万円、50万円と階段をつけて寄付へのインセンティブを刺激し拡大していった。こういう動きが楽団員に知られてくると楽員、事務局員たちからも紹介があるようになり、
それを意気に感じたそれまでの理事・評議員がさらにその気になってくれるというサイクルが回りだすようになった。ファンドレージングの成功はまさにこういう好循環にある。この手法はアメリカでのビジネス経験のある経営運営委員が中心に楽団員達と一緒に行ったことだ。
当時はまだ珍しかった資金集めの方法としてオークションも開催した。委員の関係で高級品の提供や、オーケストラを指揮する権利など様々に知恵を絞って銀座4丁目の高級宝飾店を無料で提供してもらい、
アイテムはユナイテッド航空のシカゴ往復航空券にシカゴ日航ホテルをセットにしたもの、理事長・黒柳徹子さんの衣装(あの派手な)、サントリーホールでのリハーサル時間を一部提供してオーケストラを指揮してCDに録音までしてもらえる権利などの高額なものから、
そば打ち名人楽員による出張シェフなど知恵と工夫を凝らした。これらは寄付されたものばかりでオークションで落札価格を競り上げながら、楽員ボランティアによる演奏付きパーティー形式で資金を集めた。
オーケストラの持つ華やかなイメージと人と人との出会いを楽しんでもらいながらのファンドレージングイベントは新星日響への親近感を深めた。これらのことは経営運営委員を中心に楽団員が協力して一緒に和気藹々と行ったことだ。
銀座・田崎真珠店ジュエリータワーで