私は1975年、大学卒業と同時に新星日本交響楽団に入団しました。当時オーケストラの管楽器奏者はほとんどが男性で、オーケストラによっては女性は採用しないと明言しているところまであったほどですが、新星日響にはそのような風潮はありませんでした。
その後結婚、2人の子供に恵まれましたが、その時すでに子育てをしながら演奏活動をしている女性楽員が何人も在籍していました。
練習場に子供を連れてきて控室で宿題をさせていたり、会議に生まれたばかりの赤ちゃんを連れて来たりする姿も見られましたが、大変そうだなあと思うことはありましたが、それがごく自然な光景として受け入れられていたように思います。
私自身も出産を経て仕事に復帰しましたが、いざ自分が子育てと仕事を両立する立場になると、その大変さを身に染みて実感することになりました。
土日などは私も子供を連れて練習場に行くことがありましたが、新星日響の皆さんは嫌な顔をするどころか、スタッフの人達を含めて子供と一緒に遊んでくれて、私が仕事を終えるのを温かく見守ってくれました。
楽団としても二重保育(保育所の時間外に預ける保育)の費用の一部を負担してくれたり、演奏会当日に託児室を用意してくれたりと、母親楽員に大きな支援を惜しみませんでした。
あの当時は今のように保育の制度が整っておらず、社会的にも女性が働くことに理解が深かったとは言えませんでした。
そんな中でも新星日響の先輩方は決して諦めず、女性が働くことの大切さを信じて突き進んでいたと思います。
私はそんな先輩方のおかげで仕事を辞めずに演奏活動を続けることができ、心から感謝しています。
今ではちょっと想像できないかもしれませんね!
オーボエ
小川綾子