新星日響には3年在籍しておりました。
音大を卒業してすぐプロのオーケストラに入団させていただけるという幸運に恵まれ、若輩者の私を受け入れてくださった団員の皆様に感謝申し上げます。演奏を生業とするオーケストラの団員として始まった活動はどれも新鮮で、短いながらも忘れられぬ経験として心に残っており、今でも、池袋芸劇の地下のリハーサル室で仕事があったり、荻窪駅で降りたりすると、当時のことを懐かしく思い出します。
最も強く心に残っているものは、1995年のヨーロッパ演奏旅行です。欧州で演奏するという緊張感もさることながら、日本では味わえない雰囲気や、チェコで飲んだ深いコクのビールに驚き、バルセロナのサグラダファミリアの階段を昇って汗だくになり、本番前に食べた魚のサンドイッチの美味しさ、スロヴァキアのホテルの朝食での恐ろしく発酵の効いたヨーグルト、綺麗な街並みのルクセンブルクの中華料理、ロンドンのハンバーガー(マクドナルドか?)、ベルギーのバス移動中のサンドイッチ(食べ物ばかりですが)、長距離バス移動中の窓外に広がる一面の菜の花畑(?)やラベンダーか何かの色彩豊かな野原、終わりが来るのかというほど長かったヒースロー空港のトランジット待ち時間、ホテルの廊下(スペイン?チェコ?)での泥棒らしき男女二人組とのすれ違い、ブラチスラヴァの街角での小学校低学年くらいの少年による物乞い(断るとドスの効いた捨てセリフのようなものを残して去る)、いわゆる東欧共産圏の空気というべきものなど。我がトランペットセクションにもいろんな事件が起き(詳細は後日)、これら全てが断片的ながらつい先日のことのように鮮やかに脳裏に浮かんで来ます。よく考えてみるとかなりの強行軍だったと思いますが、全てが当たり前のように旅が続きました。私のとっての貴重な思い出の一つとして心に残っています。
(トランペット/杉木淳一朗)