伊福部昭(作曲家)

伊福部昭 (作曲家)

『ゴジラ』の映画音楽で有名な伊福部昭氏は、1914年、北海道の釧路で生まれ、その少年時代を帯広郊外の音更ですごした。アイヌの人々の踊りや歌に親しみ、また内地からの開拓者たちが歌う各地の民謡にもふれなどの音楽体験は、氏の作曲家としての個性を形成する重要な要素とも言える。札幌での学生時代にすでに作曲活動を始めた氏は、北大管弦楽団のコンサートマスターをつとめるかたわら、学外で早坂文雄らと共に新音楽連盟を結成して国際現代音楽祭を開くなど、当時の楽壇では考えられないようなスケールの大きい活動を行っていた。そして最初の管弦楽作品である「日本狂詩曲」(1936)は、パリでチェレプニン賞第1位となる。これが機縁で、それまで独学だった作曲の勉強を来日したチェレプニンについて学んだ伊福部昭氏は、戦前戦後を通して多くの優れた作品を書き、日本を代表する作曲家として活躍するようになった。新星日響とは、1979年の創立10周年委嘱作品「マリンバとオーケストラのためのラウダ・コンチェルタータ」から関係が深まる。当時の運営委員長の池田鐡が伊福部氏に注目しアプローチをした結果、マリンバの第一人者の安倍圭子氏をソリストにしたこの名曲が生まれることになった。その後もコンサートで「日本狂詩曲」などの氏の代表作をしばしば取り上げるほか、財団設立時には理事に就任してもらうなど新星日響と伊福部昭氏の関係は深まっていき、1990年の第一次ヨーロッパ公演では、「ラウダ・コンチェルタータ」をプログラムのラインナップとし、山田一雄氏の指揮と安倍圭子氏のマリンバ演奏がヨーロッパの聴衆を圧倒した。